オヤジの兄弟、おじさんが一昨日急逝。夕方は越谷市斎場へ。いい話ではないが、これからは自分たちの親の世代の葬儀に出る機会が増えるんだろうなぁ。
人生のサイクルとはいえ寂しいもんだ。
しかし、いつも葬式に出ると思うのだが・・・仏教では、仏様に穢れの概念って無かった記憶が。なんで、塩がつくんだろうな。つうか、死んだ人に失礼だと思うのだがのぉ(苦笑)。くたばったとたんに、お清めの対象?
と、いいつつも習慣になってしまっているので、クルマに乗るとき、家に入るときには使う。あぁ、いい加減な宗教感。
つうか、鷲にとっての宗教は「祈りの行動」と「敬虔な精神」を持つべきタイミング。ふざけた考えだが、仏教だろうが、神式であろうが「まぁ、よろしく頼みますよ、神様仏様」の関わり感だけ(笑)。
こんなもんで良いと思うんだなぁ。お経の違いなんて、ラッキョウの味の違いと同じ。どっち食ってもラッキョウなんだから、出てきたモノを食えばヨシって感じで。そのときの儀式の形式に合わせておけばいいのでは?・・・意味不明(笑)。
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