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2007年8 月16日 (木曜日)

コメント

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>どさんこさん
仰るとおり、異端というか多様性を取り込んでこその健全だと思います。うちは、ボク自身が半端者なので、最初に半端者ばかりあつまり、半端者の文化ができあがり、そこに規模の拡大と共に、ノーマルが入ってきて、どっちつかずになりつつあるのが悩みかもしれません。

>irumiさん
えっ・・・マジですか?たぶん、ボキャブラリーの少なさのなせる技だったんだとお許しを。

>ituさん
この辺の話は、書ききれない周辺や状況や主観やらがありますので、読み流してください。全部が全部、自分でちゃっちゃかできるっていうのも、変かもしれませんしね。色々と、悩みと言うより考えることが増えちゃっています、ハハハ。

最近、難しいテーマが多いですね。今回の話もいろいろ思うところがあるのですが、「結局は、常に誰かに指示なり命令なりでしか仕事が出来ない一生になるのではないかな。もちろん、別にそれが悪いことだとは思わないし、そういう姿勢を否定するつもりもないし、とっても助かる人であるのは事実で、評価はしないといけないと思う。」というところは、その通りだと思います。無難なところに一票入れておきます。

すみません、もっとズレます…
高校時代ara3に、「遠目美人」と言われました。
美人は美人でも。
ハァ。
いや、美人と言われたいわけじゃないっす。

生物界では「ゆらぎ」がないと進化ができないように、
組織体にあっても、多少の「ゆらいだ」人間がいないと現状打破に繋がらないそうです。

型にはまった人間ばかりより、人と違った行動様式を持った人間がいると面白いことが起きる可能性があります。
しかし、組織がその異端を認めるかどうかが鍵ではないでしょうか?

人事の仕事をやっていて、最近、思うことです。

すいません、記事の趣旨とそれちゃいました・・・。

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