多面的に、そして深層的に考えていますか?立ち位置によって、正論も原則論も変わる。その中で、各者の共通点はどこにあるか。波紋の中心は善意と良心だけであること信じることがまずは日本人のメンタリティとして大事であろう。色々な思惑があるが。
スタッフのみんなに考えて貰いたいのは、靖国神社への日本国首相が終戦記念日に参拝したことそのものよりも、それに対して色々な意見がある中で、まずどのような立脚点があるのかを探って欲しい。
僕は、この場では政治的な投稿はするつもりはないが、小泉首相がこれだけ言われる中で、参拝を果たした意図はどこにあるのか。公約という面でみれば、国債発行残高に関する件は「大した問題ではない」と公約を反故にしたことを平然と言い放った人が、靖国に関しては最後の最後で実行に移すほどの重みがどこにあったのか。
心の問題と突っぱねるが、実際には政治の問題になっている現実で、政治と心情をあえて混同することで、何をしたいのか。
隣国の立場でモノを考えるのも必要。A級戦犯とはなんぞやということを考えることも必要。靖国神社とはなんぞやと言うことを調べることも必要。小泉首相が、退任間際になぜに次の首相に重い課題を突きつけたのか推測するのも必要。
個人個人で賛否を考えることはとても大事だと思う。そして、国民として大人になるためには、もう一つ考える必要があると思う。
今、答えはでないことであるが、「功罪」はどこにあるのか。これは冷静に考えるべきであろうと思う。
色々な立脚点の中で、自分の意見を整理し、自分にとっての正論はどこにあるのか。他の意見との合意点をどこに見つけるのか。もしくは、押し切るのか。コミュニケーションという面で、論点の相違や不意一致点が出たときには、何を考えていかないといけないか、考えて欲しい。
小泉首相の功罪。こんなのをいつかみんなと考えてみたいなと思う気がする。政治の主義主張を話し合うのではなく、歴史として振り返りをきちんとするのは、大人としての大事な感性だとおもうよ。
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