マジっ?って感じ。あの、その前にやるべき事があるんではないか?だいたい、パソコン教育も小学校ではいらん気がするぞ。グローバル化に合わせて?なんか、ちゃうよ、それって感じ。不要とまでは言わんがね。
英語も手段、パソコンも手段という見方をすれば、手段の前にやるべき事は何か?これを決着つけずに話を進める・・・というのは、場当たり的という見方も出来る気がするが。教育現場、家庭の両方で。
よく、小学生にはこれは不要とか、中学生にはこれが必要とか、必要不要の二元論的な話になっている場面が見受けられるが、社会人教育とは教育の概念が違うことを判って言っている人どれだけいるのかな?なんて気もしたりして。
たまにいるんだよね。「スポンジのように何でも吸収できる子どものうちに」なんてしたり顔で言うアホ。何でも吸収できるからこそ、何から吸収させるべきかを、その時々のトレンド(死語かな)で左右されず、歴史、伝統と展望を根底に考えないといかんと思う次第。
それが、子どもへの教育だと思う。
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