彼は日曜日、バスと電車を乗り継いで塾通い。遊びたい盛りでもあると思うが、何も言わずに黙々と勉強をする姿は大したもの。塾での友だちとの交流に楽しみを見つけ、休憩中の馬鹿話と、彼らとの点数競争がモチベーションらしい。
親としては、一緒に遊べないこと、色々なところに連れて行ってあげられないこと。寂しいとはまた違う感覚。未だに、本当にこういう生活を小学校6年生でさせることが良いのかどうか、疑問とまでは行かずとも立ち止まる時あり。
何かを犠牲にしている感強い。しかし、何かを犠牲にした分の報酬は誰も保証はしてくれない。
でもまぁ人生こんなもんかも。
何かを得たいと思ったら、凡人は犠牲を払わないといかんだろうな。彼は、親の血筋から考えて凡人。凡人が何かを得たいなら、時間とか遊びとか犠牲にしないとダメだろうなぁ。それがどういう結果になるかは神のみぞ知るだが、犠牲を払わずに報酬を得ることだけはあり得ない。
大人も一緒だろうな。この厳しい時代に「人並み」を得たい場合、凡人は「人並み以上」の犠牲を払わないと結果は無いんだろうなぁ。あれも人並み、これも人並み、あっちも人並み、こっちも人並みの総花的なバランス生活では、どうにもならない時代かなと言う気もしている。
天才は別枠。
犠牲を努力っていう風な言い方もあるような気もするけど、そんな悠長な時代ではないような気がするな、凡人には。
人生の価値観、仕事の価値観、世間との関わり・・・親から子どもへどうインプリメントしていくのか、まじめに考えないとなぁ。親になって、本当にまじめに考えるようになったな(笑)。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。