どこかの世代から「自己表現」だけではなく、「自己実現」そのものの、感性、価値観が変わった気がしている。これは、人生に対しての目的の変化。世代間の哲学の変化じゃないかな。多様性が進むと見えなくなってくるのは普遍性。宗教の縛りが少ないだけに日本は普遍性が曖昧になりやすい社会。
海浜幕張でパフォーマンスを展開する若者たち(あー爺くさい(笑))。彼らを微笑ましく応援する心と、自分の人生の価値観とのビミョーなずれを感じる部分の両方がある。
経済的な価値観を最上位においているつもりは全くないのだが、彼らの夢の先にどのような豊かさがあるのかが想像できないんだなぁ。豊かさを求めるのは、人類普遍の価値観だと思うんだが、具体的な豊かさという部分の定義がとても広がってきていることについて行けない部分があるのかな。
でも、我慢をせずに自分のやりたいことをやっているという意味では、同じベクトルを感じる部分も多。たぶん、鷲の感性は同年代の中では「どちらかというと異端」のような気が昔からしている。なので、今時の若者に迎合する気はないのだが、なんとなく彼らのやっていることは応援したい気分。
このあと、世の中ってどうなるんだろうなぁと思う春の夕方。
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