ちと、著作権的には問題有るが、あえて全文記事引用。出典は、ここ。
奈良市の市立小学校で5月、50歳代の女性教諭が、担任する3年生の学級(30人)の級友児童全員に、特定の男児1人について嫌いなところなどを作文に書かせ、男児の母親に渡していたことが、10日、わかった。
級友に作文を書かせる際、男児は「やめて」と言ったが、女性教諭は聞き入れなかったという。市教委は「配慮に欠ける指導」などとして、男児らに謝罪した。
市教委や関係者によると、女性教諭は、男児が授業中に教室内を歩いたり、私語を繰り返したりして落ち着きがないため、5月下旬の学級会の時間、級友に用紙を配り、男児について「嫌いなところや好きなところを書きなさい」と作文を指示した。男児にも、同様に書かせた。
数日後、女性教諭は、体調が悪くなって早退する男児を迎えに来た母親に「クラスのみんなが息子さんについて思っていることです」などと言って作文を手渡した。夜になって男児の両親から苦情を受け、学校側が謝罪した。
市教委に対し、女性教諭は「男児を排除する意思はなく、児童同士の思いが通じ合い、考えるきっかけにしてほしいと思って書かせた。判断が甘かった」と反省しているという。
女性教諭は現在も担任を続け、男児も休むことなく通学しているという。
涙が出てきた・・・。背景や、それまでの状況が判らないが・・・普通やるか?この女性教師、なんでこんな事までやるかなぁ。当人の「やめて」って言葉。心の叫びだろう、どう考えても。50歳にもなって、どういうことよ?って感じだ。
確かに、問題行動をする子どもがいるのも事実。色々な対応をいままでやってきたことは想像に難くない。一方的に教師を責めるのも酷であろうこともわかる。
だがねぇ・・・なんで、回りの児童まで巻き込むかねぇ。どっちの親の立場でも悲しいだろう。書かされた児童もどんな気持ちだったのか。
想像すれば、自分に置き換えれば・・・たぶん、新聞記事には書かれない経緯的事実もあるのだとは思うが・・・人の親として、久しぶりに悲しい教育現場記事。
せいさん 初めまして。
そうなんですかぁ・・・。滅多なことは言えませんが、当事者は本当に大変だと思います。先生の事もよくわからないところがありますが、お子さま達が健やかな学校生活を送れることを、千葉から祈っています。また、寄ってください。
投稿情報: ara3 | 2007年11 月15日 (木曜日) 00時02分
うちの子、この学級にいます。
他のブログなどでは子供のほうに問題あり戸の書き込みも見ますが、そんなことありません。
はっきり言って、先生が大変な人です。
わかりにくさが炸裂していて、普通の子でもいらいらした気持ちになります。
少しそわそわした子は、爆発します。
毎年、乱暴で、無秩序な学級になっています。
子供たちをよくないほうへと導くのです。
そして、絶対に仕事をやめません。
自分は悪くないと信じているから。
思い込み激しすぎ。独りよがりだ。
この先生こそ、自分しか見えない特性をお持ちじゃないかと思います。
50才をゆうに過ぎて、向いていないことがわからないのかなあ。
親も子も大変です。
投稿情報: せい | 2007年11 月14日 (水曜日) 15時29分
>下永☆文彦さん
いつも、お世話になっています(笑)。
・・・ほんとですね。心に引っかかる思い出として、大人になっても「イヤな気持ち」がわき出るようなこと、避けてあげるのが大人の「やさしさ」だと思います。特に、教師なんかはそういうところに、一番配慮すべき職業でしょうか。手を焼く子どもって、いつの時代もいると思いますが、大人として正面から対峙せず、回りの子どもにある意味責任負担をさせるようなことはやるべきではありませんね。
>shigekoさん
差別区別排除って大人のいやらしさでしょうか。仰るとおり、小学校なんか、大人から見れば変な子沢山いますが、子ども達は素直に受け入れていますね。
余裕のない教育現場・・・そうですね。これは先生や政策などだけではなく、親自身も現場を追い詰めている事実もあるような気がします。世の中全体にも、のりしろが無くなる場面が多かったり、糸が張り詰めっぱなしなんて事も多いですね。どこかで、リブートが必要かもしれません(笑)
投稿情報: ara3 | 2007年7 月13日 (金曜日) 00時15分
その子の気持ちを考えると、涙が出そうになりますね。多動症や学習障害などの名前で、配慮される子どもがいる反面、排除が起こっているんじゃないかなとも思います。
この事件は先生が中心になっているけれど、保護者からのクレームもあるようですし。
先日、小学校1年生の初めての参観があり、2時間くらい観ていると、確かに、落ち着きがなかったり、先生のいう事を聞いていない子っているんですよね。
でも、子どもに話を聞くと、運動神経抜群のその子は、子どもにはとても楽しい仲間らしく
「泳ぎが上手なんだよ。潜って、ヤリイカのように泳ぐんだよ~」と感心したり、
「校庭でおっきなカエルを見つけたから、T君(その子)にすぐに教えたよ!」と報告したり、それぞれの違いを認め合っているようです。そんな気持ちを大切にするのが、教育なんだけどなと思いつつ、学力向上に躍起になって、余裕のない教育現場や大人の社会事情もあるんでしょうね。
投稿情報: shigeko | 2007年7 月12日 (木曜日) 12時59分
久しぶりにコメントします。
この奈良の小学校教諭の行動について、私にも全く同じような
経験があります(想像がつかないでしょうが・・・)。
私が小6の頃の話ですが、当時よりヤンチャで暴れん坊の典型的な悪ガキだった私について、ある日のホームルームで担任から、
『こいつ(私)はみんなにとって「良い人」か、「悪い人」か?』をテーマに話し合うようにと投げかけられました。
なかなか意見が出ないため、担任が煽りながらの話し合いとなり、結果は、みんなが遠慮(あとで仕返しされると思ったのかもしれません)しながらの発言だったため、悪い意見より、良い意見のほうが少しだけ多かった記憶があります。
針の筵という言葉こそ当時は意味も知りませんでしたが、まさにその状態。カラダもデカく(164センチ)、態度もデカい私でしたから、
泣くことも、家で母親に話すこともありませんでしたが、来年40歳になろうかという今でも鮮明に、その1時間のホームルームが記憶に残っています、それくらい私にとってはツラい時間だったのかもしれません。
確かに、担任として手を焼いていたのかもしれません。
時代背景というか、私が小学生の頃といえば、既に30年近く前の話であり、現代の教育現場とは「違い」があるんでしょうね。。。
しかし、それだけでは片付けられない、子供の心に生涯消えないダメージを与えたのは事実です。私自身、私が悪ガキだったからという反省もありますが、決して、良い思い出ではありません。
私には子供がいませんので、日頃、子供が絡むNEWSにはあまり興味も沸かないんですが、本件は心にジワっときました。
また、コメントします。。。。
投稿情報: 下永☆文彦 | 2007年7 月12日 (木曜日) 10時33分