母性と父性
色々な性格が人間にはあるけど、個性の一言で済ませてはいけないんだよね、自分、他人の両者とも、大人になったら。自分の性格、他人の性格を正しく把握して、修正をしたり、カバーしてあげたりね。特に、社会人になって他人との関わりが広がってきたら。
一番困るのは、たまにいるよね「子どもっぽい」とか言われることを勘違いしている奴。これさ、大人(年齢的に)になっても言われているのって、恥ずかしいことなんだぜ、特に野郎は(ここは僕のオトコとしてのポリシー)。
「子どもっぽい」と「少年のような」は、似て非なるモノなんだけどねぇ(笑)。ここをはき違えているアンポンタンが意外と多い。あと、自分では大人だと思っているんだけど、母性環境(女性って意味ではないので誤解の無きよう)でくるまれて育ってきた結果、世間的に見ると、ぜんぜん子どもって奴。いい年をして、かっこ悪いね。本質的な大人を目指さない大人は、ダサイの一言。「子どもっぽいね」・・・これは、母性がもたらす「許し」なんだよ。母性の許しは、僕はとても大事だと思う。常に味方をしてくれるし、安らぎを与えてくれるから。
ちなみに、僕自身は「父性」での人生を送りたいと思っている。従って、いまの経営する会社も「母性」の会社ではないということ。わしも、人のことを言えるほどの性格や人格は持ち合わせないが、子供っぽさはは、さすがに無いと思うけどね。多少ヤンチャなところはあるかもしれないが(自爆)
ちなみに、うちの男性スタッフは、どんなポリシーやビジョンなりをもって生きているのかなぁ。男女区別を言うつもりは無いけど、この辺は僕は特にオトコに求めるんだなぁ。
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